些細なことで悲しくなる

私は死んだ友達のツイッターをいまだにフォローしているのだけど、この前『◯◯◯さんもフォローしています』とオススメの投稿が出てきて、『◯◯◯さんがいいねしました』と見間違い一瞬

え、もしかして生きてたの


と思ってしまった。
本当に一瞬だけなんだけど。私は未だに、生きて居てくれたらな、と思っているのだろう。

私は中学生の頃から、自分と同じ趣味で共感できる、という人が全く居なかったので、その友達は大人になってできた唯一の趣味の合う友人だった。それが嬉しかったのだ。

私の趣味は、広く浅い。故に、どこにも属せずいる。

趣味は一人で楽しむものになってしまった。

下手くそな人生だな。

ツイッターがこんなにも普及していて、趣味の合う人など幾らでも見つけれそうなものだが、浅く広いせいで、砂浜から眺める海を語る事ができても、潜った景色までは語れないのだ。

そして私はほぼ出会うすべての人に言われるのだが、変わっているらしい。たしかにうちの家族はみんな変わっているので、その血を引いているかもしれない。

しかし、私自身の変わっている箇所は、他人と考え方が全然違うことだと思っている。

みんなが共感できることはほぼ共感できず、議題から少し論点がずれた先に、私の興味はいつだってある。しかしそれは、みんなが興味のないところだ。

たとえば、私はこども向けの番組が好きだ。特に今、大好きなテレビ番組は『おしりたんてい』なのだが、だいたいその話をすると、息子がすき、甥っ子がすき、と帰ってくる。当然だ。対象年齢は幼稚園児から小学校低学年だ。しかし私は流行りのユーチューバーや、知らない誰かの恋愛より、おしりたんていの話しがしたい。

しかし、そんな同年代はどこにもいない。


まったく。人生ってなんだろ。友達ほしいなと定期的に思うが、独りでいるのもすきなのだ。


そういえば昨日本屋さんで本を買ったよ。
SFはまた感想かきます。
今はアンドロメダ病原体(浅倉さん訳)読んでます。


ではまた