思い出しても悲しくない

少し前の記事で、引きこもりの私が高校入試をした頃、家に居るのにはやく家に帰りたいよーとブツブツ永遠に呟くヤバイ子になっていた、と書いてあったのを読み返して、なつかしと思った。

その頃のの知り合いといえば、友達とは年に1、2回ぐらい会うほどで、母の行きつけの飲み屋さんの常連さん達が一番よく会う知り合いだった。

みんな本当に本当にいい人達だった。

お好み焼き屋さんに集まるのだが、店主の方は若くやんちゃな感じ、その彼女さんは綺麗な人だけど男の人(性転換してたのかはもう記憶にはない)で、あとはお父さんぐらいの年の人や、近所のお料理屋さんの人。

みんないい人達だった。

私はそこで誰と話すわけでもなく、母がみんなと話してる隅で姉とご飯を食べながら雑談をする程度だったが、居心地が良かった。母が楽しそうにしてたからかもしれない。

あんな日はもう来ないんだろうな。

最近、昔の、子供の頃のことを書くと同時に忘れていたたくさんのことを思い出す。

私は本当に記憶力が悪く、その日のお昼ご飯のメニューさえ忘れてしまうので、当然の如く子供の頃のことなどほとんど覚えていない。

だけど、文字にして辿っていくと、少しだけ思い出せる。思い出せたときは嬉しい。

悲しかったことも、忘れている間に思い出に変わっていて、今思い出してもあのときのもやもやが無かったことにはならないし、あのとき感じた悲しさは消えたわけじゃないのに、過去として距離を置いて扱えてることに安心する。

もう思い出しても大丈夫なんだなと。

前は思い出す度に悲しくならなきゃいけないと思っていた。悲しくならないと、あのとき泣いていた自分を否定するみたいに思っていた。

だけど今わかるのは、悲しさがどこかにいって無くなったわけじゃなく、あのときは悲しかったね、と距離が上手く置けるようになったということ。私にとっては大事なことだ。

もう父のことを思い出しても悲しくはない。ときどきお父さんとお出掛けしている子供を見ると羨ましくなる。私はそんな思い出が人より少ないけど、それでも幸せだ。

人ってどれぐらいたくさんのことを忘れて生きていくのだろうか。

大きな木が2本立つ家、引っ越しの日に大きな外階段から転がり落ちたこと、庭に埋めた宝物が無くなったこと、流れ星を友達と同時に見たのはバーベキューの日だったかな、かけっこで転けて大泣きしたこと、何度も近所のみんなでバーベキューやお鍋をしたこと

私はきっと忘れてしまう