引きこもりの子
引きこもりのときに何をしていたか、と言われると絵を描いていた。
ゴッホだか誰かが、絵を描き続けてさえいれば画家だと言うのを鵜呑みにして、画家になりたいから絵を描くことだけしてればいいと勘違いした。
勘違いと言えば、私が引きこもりになったのは、日に日に学校に行かなくなったことは間違いない。何が嫌とかはなかったが、たぶん勉強も全然できないし、授業中絵を書いてるだけ、友達との会話が面白くない等掘ればいくらでもあった。
ある日学校から電話があったのか母に学校なんでいかへんの!と叱咤されたが、今さら学校に行ったらきまづい思いをすることが払拭できず、ずるずるそのまま行かなくなった。
そしてもう一つ、その当時大好きであったバンドの曲に、『世界を変えたいなら、変われ』という歌詞があった。
そのCDは制服には着替えたものの学校よりも予約していたそのCDを受けとることを優先し、かつ帰宅してミュージックビデオを見ることを優先し、結局学校を休んでしまうという不のスパイラルを産み出した。
そんな曲に言われたことを信じるのも良くないが、そのとき私はテレビの前で泣きながら30回は見た。
丁度学校に行くのがいやになった時期であり、でもいつまでも行ったり行かなかったりを繰り返すわけにもいかないと思っていた。
『世界を変えたいなら、変われ』
私はこんな世界は嫌だばりに、よし、今日から学校にはもう行かないと決意した。
私が行かなくなることをイコール変わることと勘違いしたことは、大人になって気づいた。
そのときは今の自分を変えるにはこうするしかないと思い込んでいた。
そして学校に行くのをやめた。
もう行かないのかと母に聞かれ、もう行かないと伝えた。みんなと違う生き方を選ぶってことは、みんなみたいには生きて行けないってことだからねと言われた。その言葉に偽りはなかった。
そして私は毎日絵をかいた。
ブログをしていて、そこに一日一枚は載せていた。
そんな生活をしばらく続けた。
中学校の卒業アルバムの集合写真は、見事に右上に大きく証明写真が載った。
そんな私は高校に行くのだ。
毎日家に帰りたいと家にいてもブツブツ呪文のように唱えつづけるかなりヤバイ子になっており、外の世界などお断りであった。
しかし母は私の将来を考えて、高校は出たほうがいいと判断したのだ。
おまけにヤンキーの姉が地元の高校を留年し、違う高校に編入することになった。私と同じ高校に。晴れて私と姉は同級生になった。
結局二週間しか行かないのだけど。