面白かったSF小説

SF小説。基本的に苦手。

宇宙戦争、宇宙に限らずSF小説の戦争話は特に苦手。
SFじゃなくても戦争の戦いが軸の小説は苦手。
戦争の話を聞きたくない、ということじゃない。

SF小説の数少ない、私が手にとり開いた小説に出てくる戦争は、現実にはない国、連合国、宇宙船、異星人、聞いたことない世紀で溢れている。そしてその多くはカタカナ、読めない漢字である。私は特にカタカナに弱い。
カタカナの名前は100回読んでも覚えられない。
つまり、全く聞いたことのないカタカナに文章が埋めつくされている小説は読み進めるのが困難なのだ。

ちなみに私は歴史の知識がほぼゼロだから、実際の歴史を軸にした戦争物の小説も読むのも苦手だ。たとえば私が一番翻訳された小説で好きなのは『卵をめぐる祖父の戦争』である。

初めて読んだとき、小説とはこういうものであってほしいと思う全てが詰まっていて嬉しかった。

この小説は、タイトルに戦争の文字、内容も捕虜になった少年が戦争中の街、国を駆け巡る話し、つまりは戦争の話しであるが、これは争いがメインではなく、卵を探す事がメインであるため読めた。

しかし、カタカナで表記される国、町のどれが主人公の味方でどれが敵なのかは一切分からない。
しかし分からなくとも、冒頭、あとはラスト以外は困らない。ラストは国の名前を調べながら読んだ。

話しが前後したが、少し前まではSF小説といえば、上記のようなカタカナだらけの戦争の話しばかりだと思っていた。(『星のダンスを見においで』は序盤から何も頭に入ってこなかった。『ヤキトリ』は面白かった。でも誰が誰かはよく分からないまま。)


しかしつい最近手にした二冊は戦争ものではなく、デストピア小説。一冊は『すばらしい新世界オルダス・ハクスリー作。かなり古い。

二冊目は『華氏451度』レイ・ブラットベリ作。
(ちなみにこの本を読んだのはつい二日ほど前にもかかわらず、タイトルを全く思い出せずGoogleで【sf小説 紙が燃える】で検索した)

私はほとんどの時間、感覚だけで対応してるようだ。興味のなさから覚えれない物が多い。話に興味はあっても、それに関わる人の名前までは覚えれない。

この二冊の小説もかなり楽しく読んだものの、主人公の名前、主人公の周りの登場人物の名前は一切はっきり分からないまま読んだ。それでも面白かった。

ときどき、誰かが誰かにこう言った、、というような文の後に台詞が続いていても、主人公が言ったのか、誰に言ったのかよく分からないまま読み進めたところもあり、じゅうぶんに楽しめたわけではないと思う。感覚的すぎる。多分さっき~~してた人のことだろう、ぐらいにしか分かってない。

でも面白いのは登場人物の名前じゃない。素晴らしい新世界に関しては古いとは一切気づかなかった。日本で太宰の人気が出るより前の小説である。今の私が読んでもリアリティを感じるデストピアが生き生きと書かれている。今この時代に読むことになんの古くささも違和感もない。すごい。(新訳というのも理由の一つだろう)

華氏451度は、タイトルに前から惹かれていたものの、SFだから読めないだろうな、と諦めていた小説だ。だけど、素晴らしい新世界を読み切ったことで自信がつき、思いきって買ってみた。この小説のデストピアは私には耐えれない世界だ。

デストピア物の小説を読んで分かったことは、自分の考える常識と全く違うものであっても、その世界に産まれた人にはそれが当然であり、正義であり、間違いないと赤ん坊のときから教わって育つとそれにしかなれない。

常識に抗うことは難しい、以前に疑うこと自体が病気である。だからこそ、育ちの違う他人と仲良くすることの難しさを教わった。


ときどき、SFが読みたくなる。どういうときか?伊藤計劃のことを考えたときだ。
中学生のようにかっこつけている。上から目線で映画を批評することを隠さずブログにさらけ出している所が好きだ。虐殺器官も好き。虐殺器官SF小説だと書いてあった。あれサイエンスだったのか。



素晴らしい新世界
華氏451
虐殺器官
火星の人
レッドスーツ
地上最後の刑事 カウントダウン・シティ