本の話

今日もそんなによくない一日でした。

本を読むとちょっと気が紛れていいかもしれない。
最近全然読んでなかったので何冊か買いまして。

引きこもりのときはお金がなくて本が買えなくて泣いてたけど、社会人になって毎日本屋により、欲しい本を買う、欲しい本がなくても買う、を続けていやさすがに買いすぎだなと思って月10冊前後に落ち着いていたが、最近めっきり読まなくなった。

小学校二年生のとき、サンタさんからのプレゼントが小学生向け推理小説二冊だった。
毎年うちはわりといい物をもらっていて、(私が眉毛を描いた大きなミッフィーのぬいぐるみとか、お姉ちゃんはマウンテンバイクとか、おもちゃとかお菓子いっぱい詰め合わせとか)かなり期待を寄せる行事であったのは間違いない。

姉は毎年夜になると窓の外に向かって何が欲しいか、自分はこの一年いかにいい子であったかを伝えて本気でお願いをしていた。

わたしもそこまでしないと欲しいプレゼントが届かないと危惧し、毎年クッキーやココアに手紙を添えてサンタクロースの休憩用セットを用意して寝るのが恒例だった。

そして朝、姉の枕元には当時流行っていたSPのゲームのカセットやお菓子が。

私の枕元には本が二冊。

さて、これは読書が大好きな子供だったなら大喜びに違いない。なんせ二冊もあるのだから。

しかし私は小説なんて全く読まない子供だった。
読書とは無縁、永遠に工作をし、永遠に庭で泥遊びをしてる子供だった。こくごの教科書の字すら読まない。


衝撃的であった。

なぜなら私は本が欲しいなんて願ったことがないのだから、サンタさんは近所の誰かとプレゼントを間違えたに違いないと確信した。

朝、姉は新しいおもちゃで遊び、私はそっと本をリビングの上に備え付けられていた本棚の一番端に二冊並べて直してテレビを見ることにした。

そして私は小学校三年生になり転校した先の小学校で、教室が図書室の隣だった。

たまたま仲良くなった子が本が好きで、頻繁に図書室に行くようになった。

そして私は絵本に始まり、少しづつ低学年向けの小説を読むようになった。
一回に5冊までしか借りられず、その日のうちに読んでしまうこともあった。

そしてふと、そういえば家に本があったっけと思い出した。

その二冊の本は、リビングの本棚の隅でクモの巣の一部となっていた。
なんとなしに読み出すと、かなりおもしろい。
止まらない、続きが気になり夜ご飯も食べたくなかった。そんなことは初めてだった。

その本は、青い鳥文庫はやみねかおる先生作、名探偵夢水清志郎事件ノートの、『亡霊は夜歩く』と『消える総生島』の二冊。なぜか一巻がなく、二巻と三巻だった。
正直大人が読んでもおもしろい本格推理小説である。
登場人物はこんな人いたらおもしろいだろうなという非現実な人達ばかりなのだが、探偵の謎解き、つまりなぜこの事件が起きたのかはかなりディープな内容の事が多い。戦争だったり、自由だったり。

なので軽く楽しく読み進めていき、最後で考えさせられるようなストーリー展開が特徴なのだ。

わたしはドハマりした。

本気である。

そして図書室で続きを借りまくった。
そのときはまだ、数刊しかなかった気がするが、私はハマりすぎてそれ以降新刊が出たらすぐ本屋さんでかってもらった。

このシリーズは作家さん自体が本当に推理小説が大好きで、袋とじページがあったり、ギミックがまた楽しかった。袋とじを開けたのは後にも先にもこの一回だけである。

当時流行っていたのか、本自体を傾けたり、本に謎が隠されているようなのがいくつかあった。(パスワードシリーズとか)

そういうのは何歳でも楽しいと思うが、子供ときに出会えてよかった。小説の楽しさ、読むだけではなく主人公たちと一緒に謎をとく感情は宝物のように感じる。

今の私はあそこまで世界に入り込めなくなったような。

(全然関係ないが、ぼくらのSFシリーズの『シンドローム』は大人になってから読んだけどこれも本の中身がすごい。)

世界に入り込めなくなっても、私はまだ小説を読む。
他人の知らない人の人生を体験したような気になれるから。日本語がおもしろいから。

だけど社会人になって、読む時間がなくなったと見てみぬふりを続けてきたが、最近また読もうと思う。

自由な時間があれば絵を描いたり、ガンプラを完成させたり何かと自分を表現できる何かをしないと無駄な時間になってしまう気がして焦るときがある。

でも心が疲れて死にそうなとき、自分が産み出す力が足りないときは本に頼って暇を潰してもいい気がしてきた。

おもしろい本があれば教えて下さい。