『犬神館の殺人』

『犬神館の殺人』月原渉 著
扉絵の素敵さと、本格ミステリであろうタイトルに惹かれて購入。
元々は魍魎の匣が欲しくて行ったのに売ってなかったので、姑獲鳥夏とこの二冊だけ買ってきた。

さて、犬神館の殺人は、二つの時代を行き来しながらストーリーが進んで行くのだが、
登場人物が少々多いので(なんせ二つの時代分いる)、紙に名前を書きながら読み進めたのだが、
このお陰で最後までややこしくなることなく読み終えれた気がする。

本格推理小説で間違いないのだが、何というか「なるほどそうだったのか!」というよりは、
「あー、そういうことか、、、なるほどなー、そうかー」という、今までにないトリック、
密室ロジックであり、驚くよりも唸らせられるという方が懐に落ちる気がする。

読みやすくもあり、少し大人向けの推理小説を読んでみたい人におススメする。
私は3時間ぐらいで読めました。この作者の同じ新潮文庫から出ている『首無館の殺人』も一緒に買っておけば良かったなーと思った。
そちらでは一体どういうトリックを読ませてもらえるのかが楽しみだ。


魍魎の匣が売っていなかったのは残念だった。久しぶりに映画を見るととても美しく、話の感じと相異なった優しい音楽、大人の男の人どうしの青春映画のような雰囲気がとても気に入った。
アニメとまた展開も違うので、映画もアニメも両方おすすめです。

今日は朝からずっと頭が痛くて寝ても治らず、薬を飲んでみましたがあまり効きません。
今日の夜は焼肉に行くのに、、、それまでに治ってほしいものです。


♪Belle&Sebastian
There's Too Much Love

BGMにおすすめです。

三体暗黒森林よみおわった

三体、暗黒森林を下巻までようやく読み終わった。

三体の一巻については恐らく随分前のブログで書いたと思う。
(なっかったらすいません)

振り返るとあの分厚さに二の足を踏んでいたのだが、読んでみるとワクワクが止まらない一気に読める小説であった。
また、科学知識が未無のわたしでも分かりやすく、かつ本当にあり得るのかも知れないというリアリティーに惹かれた部分も大きい。
この三体をが人気がある、ということはそれだけ多くの人が読みやすい小説であるということの証明であろう。

度々科学に詳しい人に「こういうことは本当に出来るのか?!」と興奮気味に詰め寄ったりもした。
そのおかげで登場する多くの科学技術が他のSF小説と同じようにファンタジー(理論のみの実現してはいないもの)であったが、
それを聞いてもあり得ない事ではない、という事実がより続編への期待値を上げることになったのは言うまでもない。

そして待望の続編は6月に出た。上下巻の二冊だったことには驚いたが、迷わずに手にした。
しかし世界はあれよこれよと忙しく、なかなか読み進めることが出来なかった。

しかし先が気になる展開であり、またまた読み始めると一気に読み終えてしまった。
展開を予想しつつ進めたのにもかかわらず、私の予想は当たらず期待以上であった。

図書館にあればぜひ読んでもらいたい。なければサンタクロースにお願いするのもありだ。
ところで私は誕生日が冬であり、クリスマスと同時に祝われることが多く、いつも図書カードをお願いするのに誰もくれない。
なのでサンタクロースには図書カードをが欲しい、よりも具体的に本のタイトルを伝えるべきである。
図書カードはくれないのに、なぜか本はくれるのでぜひ三体を頼んでみよう。


三体を読み終わってしまい、本のストックを確認したところ、次に読める本がほとんど残っていないことに気づいた。
いつの間にこんなに読んでしまったのか。新しく本を買うまでは実家から運んできた死ぬまで繰り返し読むつもりの本から選んで読むことにする。
なぜ本屋に行かないのかと言われると、外に出るのが面倒だからである。

本の話はこれぐらいにして、最近興味がある物の話をすると、最近は土星について調べることにはっまっている。
Huluで見たと思うのだが、『ザ・プラネッツ 太陽系物語』で見た土星の回があまりにも魅力的であった。
この番組は、イギリスの物理学者ブライアン・エドワード・コックス教授(Mr.Brian Edward Cox)が
美麗なCG映像や景色と共に、実に詳しく惑星について解説をしてくれる番組だ。

この土星の回で、土星ではダイヤモンドが瞬間的に合成されているというのを聞いてから、
その瞬間を見てみたい、と思った。その日から土星博士、それ以上を目指している。笑うところだ。

しかし、生まれ変わったら土星を研究する人になりたかったー!と彼氏に言うと、
今がその生まれ変わりだよーと何気なく冗談を言われたのだが、なんだか頭から離れない言葉である。


さて、引きこもりは土星の勉強に戻ります。またね。

最近の楽しみ

アンドロメダ病原菌、とっくに読み終わっていますが、感想を述べるタイミングを完全に失いました。面白かったです。現代の映画の脚本みたいで、スリリングでした。

そのあとまたSF小説を何冊か買いましたが、あまり読んでいません。

ミシンを手にいれたので、ミシンで何かを縫ったり、絵をかいたりしています。

初めてハローワークにも行きました。

税金、年金、保険料が高くて大変です。貯金がなくなりそう。まあこれも人生よ。


最近、一人でいると地球のことや、たくさんの生物のことを思う人間でいたいな、と思ったんです。そこで、はじめでヴィーガン、エコなスーパーに電車に乗っていきました。

すっごい楽しかったんですよ。

最近知ったのが、お肉を食べない、というのは動物が可哀想だからと考える人が多い、というか全員そうだと思っていたら、違いました。

家畜を育てるための過程、また食肉に加工する過程での地球への良くない影響が、温暖化の大きな一因だそうです。

知らなかった。

工業型畜産が地球温暖化に及ぼす影響は、その他の影響とパーセンデージで見ると14パーセントにもなるそうです。

だからお肉を食べ過ぎるのは良くないのか。なるほどな。

なんでLAのセレブたちってそういうことに詳しいんだろうか。自然を好きな人たちはすごいな。


だからといって私はお肉を食べないとはなりません。減らしただけです。

魚料理をあまり作らなかったんですが、最近は週二回は魚料理を、お肉は今までの半分の量に押さえる。など工夫をしています。

地球温暖化に影響があると知って、あ、減らさないとと自然と思えました。

なぜなら、影響があると知って、だから?とスルーすることが私はできないからです。

夏はすでに暑いのに、これ以上に暑くなるのも嫌だし。

確かに地球は周期的に砂漠のようになったり、氷に覆われたりします。それは地球が宇宙にある星のひとつだから、自然なこと。しかし、たくさんの人間が人生を楽しんで生きている時間を、自分たちで短くしていくことはないんじゃないかな、と思います。

まあ、私はね。

私は私、人は人、同じ考えでなくてもいい。
その考えが、あなたの自身の考えであるならば、それを軸に自由に生きていけばいいと思う。

他人がこうしているから、みんなもこういっている、だから私もこう、は自由ではないように思うよ。それは他者の意見だから。

あなたはあなたの考えで生きていくこと、それが自由なのかな?と思うこともある。

話がずれました。

そう、最近ハンドクリームを買うのにも、サスティナブルかつ地球の生き物にも優しいのはどのブランドかな?と思ってネットで調べてから、自分が信頼できるなと思ったブランドの物を買いました。小さなことだけど、自分にできることがあって嬉しいです。

キッチンの洗剤も新しくサスティナブルで自然に配慮したエコなブランドのものを買うことにした。


私は今楽しいです。

なんだこの感情は

最近、自分の好きなものってなんだろう、と考える。

お久しぶりです。ニートです。

最近ひまだからか、生活を見直すことがあって、地球や動物に少しでも優しい生活を送りたいな、と思って少しずつ生活習慣を変えてます。

そしたら、なんだかあー幸せだなー楽しいなーと思うことが増えてきました。
あくまでも自分にできる範囲ですが、心地よいです。



そんな生活をしていて、幸せだなと思うことが増えたと同時に、最近忘れかけていた『悲しい』気持ちが突然押し寄せてくるようになりました。ました。た。


突然くるのです。

駅のホームを歩くとき、歩くとき。

家の中にいるとやることがあってあんまり考えないんですが、一人歩いてる時に風が吹くみたいに突然悲しさがやってくる。

仕事をしているときより格段に減りましたが、どうして幸せだと感じるのに、生きていることが辛いこともふと考えてしまうのでしょうか。

突然、あ、死んだら楽なのにな、と何の前触れもなく感じるのです。

幸せだけではいけないのでしょうか。


自分のしたいように生きていても、本当の幸せではないようです。

私はすべてに感謝してありがとうと感じるけど、同時に息苦しさを感じる。



なんだこれ

死のはなし

『死ななくてよかったな、といつか思えるのかな』

そう、姉妹で話してきた。
私は自殺しようとして、首吊りを試みたことがある。結局『苦しい、しぬっ』と思って出来なかった。この経験から、私はいくら死にたくなってもいざ自殺出来ないのだからまあ辞めておこう、という気持ちになった。


もう死のう、と決めた人間は、なんの未練もなくなる。

残された家族も、恋人も、私が死んだ後に何を想おうと私は死んだんだから考えなくて良い、と思うので、何を言われても思い留まることはなかなか無いだろう。

なんせ、死んだらこんなややこしい感情とは決別できて、自由に楽になれるのだから。

死こそが私の幸福。そういう心理になる。



死のうと決めたきっかけは些細なことだった。
しかし、それまでのストレスはとてつもない。

15歳のときから10年ほど、死にたい、今日車に跳ねられて死なないかな、と思いながら道路の真ん中を歩く人間だった。

死にたいという気持ちが抑えきれないときは、指をカッターで切って誤魔化していた。


しかし、いざ自殺しようとすると苦しくてやめた。
だから私はまだ生きている。

しかし、仕事を辞めた、やりたいことのない私はただ流れて生活するだけだ。

そんなのは嫌だな、せっかくちゃんとした人間を辞めた、その勇気を出したのだから、なにか好きなことをしたいな。


また明日

些細なことで悲しくなる

私は死んだ友達のツイッターをいまだにフォローしているのだけど、この前『◯◯◯さんもフォローしています』とオススメの投稿が出てきて、『◯◯◯さんがいいねしました』と見間違い一瞬

え、もしかして生きてたの


と思ってしまった。
本当に一瞬だけなんだけど。私は未だに、生きて居てくれたらな、と思っているのだろう。

私は中学生の頃から、自分と同じ趣味で共感できる、という人が全く居なかったので、その友達は大人になってできた唯一の趣味の合う友人だった。それが嬉しかったのだ。

私の趣味は、広く浅い。故に、どこにも属せずいる。

趣味は一人で楽しむものになってしまった。

下手くそな人生だな。

ツイッターがこんなにも普及していて、趣味の合う人など幾らでも見つけれそうなものだが、浅く広いせいで、砂浜から眺める海を語る事ができても、潜った景色までは語れないのだ。

そして私はほぼ出会うすべての人に言われるのだが、変わっているらしい。たしかにうちの家族はみんな変わっているので、その血を引いているかもしれない。

しかし、私自身の変わっている箇所は、他人と考え方が全然違うことだと思っている。

みんなが共感できることはほぼ共感できず、議題から少し論点がずれた先に、私の興味はいつだってある。しかしそれは、みんなが興味のないところだ。

たとえば、私はこども向けの番組が好きだ。特に今、大好きなテレビ番組は『おしりたんてい』なのだが、だいたいその話をすると、息子がすき、甥っ子がすき、と帰ってくる。当然だ。対象年齢は幼稚園児から小学校低学年だ。しかし私は流行りのユーチューバーや、知らない誰かの恋愛より、おしりたんていの話しがしたい。

しかし、そんな同年代はどこにもいない。


まったく。人生ってなんだろ。友達ほしいなと定期的に思うが、独りでいるのもすきなのだ。


そういえば昨日本屋さんで本を買ったよ。
SFはまた感想かきます。
今はアンドロメダ病原体(浅倉さん訳)読んでます。


ではまた