SF小説とはなんぞや

サイエンス・フィクション(英語: Science Fiction、略語:SF、Sci-Fiエスエフ)は、科学的な空想にもとづいたフィクションの総称。 メディアによりSF小説、SF漫画、SF映画、SFアニメなどとも分類される。 日本では科学小説、空想科学小説とも訳されている
(Wikipediaより引用)


お久しぶりです。

久しぶりすぎて、もう前までのお話しを読んでくれている方がいるとは思えないですが。

わたしもすっかり前になんのことを書いたか忘れたので読み直した。

そこで、SFの定義を知らないと書いてあり、冒頭にWikipediaさんから引用した言葉を載せた。

上記によれば、SFの定義にはサイエンス、科学的な空想にもとづいた要素がなくてはいけないよう。

科学的にもとづいた、なら分かりますが、科学的空想にもとづいた、とはどういう意味なのか?

まず科学とは、私たちの今生きているこの世界で体系化された知識や経験の総称という意味。

しかし、科学的空想とはなんぞや。

科学的となれば、科学にもとづいた根拠のある事実であることが前提。とするならば空想はなんだ。


空想(くうそう).ファンタジー · 空見のこと。 その時点では実現されていないことに対し、頭の中で実現している場面を想像すること
(Wikipediaより引用)


まとめると、科学に関係する、科学の性質をもった現時点では存在しないが想像できることになる。

なるほど、そう言われるとSFの意味が少し見えてきた。

となると、現時点で実現している科学技術を披露する小説は科学小説であろう。(科学捜査を題材にしている作品等)

実現している以上の科学的表現が必要だ。

大切なのは科学の性質を持っていて実現している以上の想像できることなので、ドラえもんのグルメテーブルかけはSFになりそうだ。(何故なら物体を瞬間移動させる技術はないが、グルメテーブルかけは必ずしも物体の瞬間移動である必要はなく、瞬時にその場で調理されテーブルに乗せるなどの方面で見れば私には現実的に思える)

しかしそこは小説、ユニコーンが登場するだけならファンタジー小説だが、そのユニコーンを科学にもとづいて作る過程があるのなら、それはSF小説になりそうだ。

ただしどの場合も、過程が必ずしも科学的である必要はないと言える。何故ならば、たとえユニコーンの作り方が煮詰めた豆スープにニンジンをいれたらできる、という場合でも作者がSFであると言えばSFであるし、読者がSFだと感じればそれはSF小説である。用は個人の感想、ここに分類すると決めるのは結局個人だ。

たとえば私が読んだ小説に、テレポーテーションが出来る主人公がいるとする。それならファンタジーだと考える。

しかし、主人公を取り巻く環境に科学が絡むとややこしい。

主人公は科学者で、研究室が頻繁に登場し、同僚の科学者が量子のテレポーテーションについて研究をしているとする。

本人のテレポーテーション能力については詳細は一切不明であっても、読者の私としてはもしや、同僚の研究と関係あるのでは?と結びつけてしまい、ここまでくるとただのファンタジーではなくSF小説だと思いそうだ。

しかし、よくよく考えると主人公のテレポーテーション能力には科学的根拠は一切なく、同僚の研究もわかる人が読めばすぐに現実の科学の領域を出ない。

つまり、ファンタジーと科学小説の組み合わせだ。この二つの組み合わせはSFだとするのが、この二つの要素に科学的空想がないからSFではないとするのか、やはり個人の問題である。

小説を何系か、と分類が必要なのは確かだ。
検索のさいに便利である。私のように、本を紹介するさいも便利だ。または出版社が宣伝に用いるためにSFとすることもある。または作者の意向。


ここまで書いて分かったことは、何がSF小説かそうじゃないかなんてどうでもいいに近い。読む。それで十分だ。本の世界観を表すために用いる単語として理解していこうと決めた。

科学的にもとづいた提示がなくとも、私がSFと感じ、人におすすめするときにそう伝えたい場合は用いることにする。

なお、この議論にゴールはないとみた。



長々とありがとうございます。

次は人間の話し、文学部唯野教授の感想でも。