筒井 康隆『文学部唯野教授』
筒井 康隆『文学部唯野教授』
私は前の前の日記の最後に、文学部唯野教授の感想でも、と書いたのにもかかわらず違う作品の感想を書いた。申し訳ない。
人間たちの話を読みはじめて、しばらく読書ブームがまた来るだろうから、本がほしいと本屋さんに急いで行った。
二冊買った内の一冊が、 筒井 康隆さんの『文学部唯野教授』だ。
1990年の作品で、かなり重版されているベストセラー作品だ(岩波現代文庫で25版)。
内容は、文学部教授になったばかりの唯野教授が、教授という立場で周りの人間の出世欲のために翻弄される姿と、本人の授業の様子とが交互に展開されている。
私は文学部がいったい何の勉強をしているのかさっぱり分からない。小説を書くのか、小説や詞という文について勉強するのか。この小説にはどちらでもなく、文学というものを今までどう捉えられてきたか、分析されてきたかという文学を研究してきた人たちの思想についての授業であった。
私は、たとえば小説は書く人の込めた気持ちもあるだろうが、それは本人にが口を開くまでは誰も知らない。作者の込めた意味を想像するならそれはじゅうぶん小説を楽しめていると思うが、勝手に作者の込めた意味などという解説をする人は手に負えない。ただのナルシストで注目されたいだけだ。超能力者でもない限り、人の頭の中のことなど分からない。
想像と、決めつけることは別である。
最近、映画の解説などを見るとよくある。ここのシーンはさながら◯◯のようだから、この映画は反戦争映画だ。とか、ここの◯◯は子宮の中の胎児を現していて、、神様を現していて、、なんだそれと思う。
反戦争映画だと私は感じた、ならいい感想であるが、赤の他人が決めつけるのは気味が悪い。
それはあなたの世界だけで通用する話である。
話がまたそれてしまった。申し訳ない。
まあ、文学部唯野教授の中にもこうした小説とは作者のものか、読者のものかのような授業もあり、かなり楽しい授業だ。
そして教授の教授人生は走るばかりの大変な日常である。キャラクターそれぞれの精神描写はもちろん主人公である唯野教授目線からしか描かれないが、それでもその場の空気がよく分かる。皆の空気が。
いるのだ、そういう人が。会議で一人、ぶつぶつ文句をいい続けるもの、それが終わるのをただじっと待つ他の人たち。そこに一石投げて空気が凍る瞬間。それは実際に日常にあるのだ。
唯野教授の中にある空気は、現実の日常によくにている。時折するする、と話が進んでいってしまうことも。そのおかげで、唯野教授の日常は目まぐるしい。
この本の特徴の1つに、注釈が多いというところがある。
主に、大学内部の関係性、昇進制度と授業に登場する人物について。講義の中で興味を持った人があれば、さらに深く知ることができる。
私は講義の中で紹介された本にいくつか興味があり、実際に手にしたいと思った。
唯野教授の講義は生徒に人気がある。分かりやすさ、言葉遣い、テンポのよさ。確かにその通りだ。
文学というこ難しい部分は最小限であり(ほとんどが分かりやすい)、私にとって気軽な気持ちで読める一冊になった。
年齢的には高校生以上にオススメしたい。
筒井さん繋がりで、パプリカを買ったものの読んでいないので、そのうち読もうと思った。
今は、一昨日実家からいくつか本を持ってきたものを読んでいる。実家の本棚(とその山々)は、私にとって好きな本、興味のある本ばかりの図書館という感じがした。
ちなみに今は伊藤計劃を読んでいる。大好きだ。大人になった私に自分の頭で考えると言うことを教えてくれた。
ではまた。